ロンドン ワーホリ起業家ブログ

イギリス(ロンドン)での生活に必要な情報を共有します。

ダンス事業を始めるまで(2019年公開)

前回の記事は実はすごくふらっと書いたのですが、実はあれからすごく反響があり、色んな連絡をいただいたので(適当に書いたので逆にすみません)、今回は社会人になってから、ダンス事業を始めるまでのことを書いてみようと思います。

※当たり前ですが、公開できるのは綺麗な部分だけなので、すごく綺麗に抜粋するので汚い部分とか真実を聞きたい人は個別に連絡ください。笑

 

今後、ダンスに関するビジネスをしたい人だけでなく、社会不適合者の生活に興味のある方の参考になればと思います。

 

2015年4月 新卒で代理店に入社

2015年3月に大学を卒業し、新卒で、広告代理店に入社しました。

大学3年で単位を取り終えていたので、大学4年生は英国でぼーっとしていたこともあり、就職に興味が全くなくて、すごく適当に就職活動をしました。

様々な要因はありましたが、そもそも私は組織が苦手なので、1ヶ月半ほどで退職しました。

とんでもなく迷惑な新卒で申し訳なかったなとは思ってますが、この選択は英断だったと思っています。

 

2015年6月 新卒ニート

会社員は向いていないので、会社を作ろう!と思ったのですが、売るものがなかったので、売るものを作ろうと思い、初任給の30万円でMacを書いました。

でも売るものを作る知識が皆無だったので、プログラミングが強い人が多そうな会社を見つけて、そこで営業をしつつプログラミングをしたり、新卒の会社のエンジニアを捕まえて勉強会をしてもらったり、とにかくプログラミングの勉強をしました。

 

尚、当時の給与はかなり低く、お金がなかったので、早朝と深夜に学生時代にお世話になってた飲食店に出戻りしてアルバイトをする生活が始まります。

変動はありましたがこんな感じ。

6時−9時 バイト

10−18時 営業

18-21時 プログラミング

22-25時 バイト

 

 

この時もダンスは続けてましたが、レッスンは休みがちでした。

 

尚、プログラミングはというと、書けません・・・今もたまに簡単なコードを書いてますけど、人に聞きまくってギリギリなんとかなるかならないかのレベルです。

 

 

2015年11月 起業の世界に飛び込む

 

7月ごろに知人から一緒に起業しないかと言う誘いを受けたのですが、明確な自信がなくて一度断りました。でも紆余曲折あり、その起業話に乗りました。

 

 

イデアから設立までは当時代表を務めていた知人が全部やっていたので私は関わっておらず、起業とは?という感じなのですが、創業メンバーの半分以上が学生でとにかく何もないところからのスタートでした。

でも、なぜか世界を変えるプロダクトが作れそうだと思ってました。

 

当時の商品は動画の圧縮技術の提供とそれを用いた動画アドネットワーク。

動画元年と言われていた頃に最適なアイデアでした。

高画質かつ軽容量で配信する技術も我ながら世界レベルだったと思います。

日本初の縦型動画広告も作りました。

手前味噌ですし、失敗してもまだ学ばないかと言われそうですが、私は未だにこのサービスを超えるものはないと思ってますし、最強のメンバーだったと思っています。

尚、現在も各所でこの再生エンジンは利用されています。

 

自分達の商品が最強だと信じきっていたことと、当時は動画元年と言われていて、まだ動画広告が珍しかったこともあってなかなかに好調で楽しかったです。

 

お金はなかったですが、会社として2億円弱を調達したり海外配信をしたり、本当に毎日楽しかったです。

 

2017年2月 2度目のニート

 

動画元年と言われていたほど動画市場が伸びなかったこと、Youtube広告の台頭等で好調だった売り上げは落ち込みました。

当時5社ほど居た競合はバイアウトかピボットする中で、我々は答えが出せませんでした。

2億弱のお金なんて普通に使ってもあっという間に消えます。

結果として我々は解散することになりました。

 

自分たちがゼロから命をかけて育ててきたプロダクトと会社が霞んでいく瞬間ほど切ない感情はないですが、当時支えてくださった全ての方に申し訳ないことをしたなと思っています。

でも20代前半でこんな気持ちを味わえたことに感謝しています。

そしてもう一度、同じメンバーで会社がやりたいと今でも思います。

 

 

 

こうして私はまた無職になりました。

この時、会社員に挑戦しようとしたのですが、やはりうまくいかず、すごく悩みました。

色々と解決策を考えたのですが、どうしてもダメでした。

ただ、元取引先が仕事振ってくれたりしたこともあり、海外で会社の立ち上げをしたり、アドテクのコンサルをしたりとフリーランスで色々なお仕事をさせていただきました。

一瞬でしたが仕事で海外にも何ヵ国か住みました。

ひょんなことから機械学習プロジェクトにぶち込まれて、勉強することになり、数学の知識が皆無のところから統計学やらPython、Rなんかを学んだりもしました。

これは私のいつものスタイルですが、仕事をしながら学んでいます。

色んなジャンルの案件が入ってくるので常に学びながら対応しています。

英語も仕事をしてるうちに分かるようになりました。

 

 

2017年12月 ブロックチェーン界隈に参入

 

「仮想通貨詳しいよね?」

という知り合いの投資家の一言で仮想通貨界隈に足を突っ込むことになる。

正直、そこまで興味があったわけではないのですが、私は投資やギャンブルが趣味で、その一環で早めに仮想通貨にも投資をしていた関係で、それなりの知識はありました。価値が上がる理由が知りたくて、自分でマイニングしてみたりもしていました。

 

そんなきっかけで某取引所に関わってから、海外を飛び回るようになり、世界各国のブロックチェーンプロジェクトに参画することになりました。

バブルの始まりです。

とにかく仕事がたくさん舞い込んできて、色んなプロジェクトの英日/日英翻訳やトークン設計、マーケティング支援等々を行いました。

正直、詐欺プロジェクトにも何件か合い、騙されたりお金を振り込んでもらえなかったこともありましたが、それでも海外の物価に加え、ブロックチェーンバブルのおかげで単価が高かったこと、また一部をそのプロジェクトの通貨でもらっていたので、収入がすごいことになり、これはまずいと思ってとりあえずエストニアの法人を作りました。

これもたまたまなのですが、興味本位で少し前にエストニアのE-Residencyを取ってたのと、税制が安いと聞いたので作ってみました。確か3日くらいで作れた気がします。

 

この頃から、生活が一変し、新卒の頃の年収を1ヶ月で使ってましたし、世界を股に掛け、所謂、人々が夢に見るような生活をしていたと思います。

でもだだっ広いホテルに泊まり、自分がどこの国に居て、今が何時なのかも分からず、毎日各国を移動する生活は面白くなかったです。

また、世間からの期待と自分の未熟さとのギャップにも疲弊しました。

学生時代の留学経験の縁もあって、どこの国にも友人が居るので、楽しい時もありましたが、やはり日本の友達と遊んだりレッスンに行きたいなと思ってました。

また、当時はダンスのリハのために帰国しながらナンバーに出ていたので体力的にもかなりきつかったです。

当時、なぜ自分はお金を持つことで幸せを感じられないのか?

お金がモチベーションの人間だったら幸せなのになと悩みました。

 

2019年1月 日本生活

飽きてしまったのと、単価が落ちてきたこともあり、日本から海外のブロックチェーンプロジェクトを支援する生活になりました。

夢の日本生活の始まりです。

せっかくの日本生活なので、出たいダンスナンバーに全部出てみました。

日本は本当にいい国ですよね。

 

2019年6月 日本法人設立

前の記事にも書いたように、お世話になっていた先生の縁で、日本に法人を作り、ダンス事業を開始しました。

4年前のように、株主が居て、仲間が居て、プロダクトに熱中できる生活はとても楽しかったですが、次に起業するなら自己資本で好きなことを好きなだけやりたいと思って居たので、合同会社にしました。

 

2019年12月 現在

 

今の収益は、相変わらずブロックチェーンプロジェクトの支援、IT企業の戦略コンサル、技術書籍や仕様書の翻訳の仕事、マーケティングのアドバイザー等々です。

正直、何もできないのに運だけでここまできてしまったので、なんで仕事が取れるのか全く分かんないですし、今後も不安しかないのですが、おかげさまで今は安定的に利益が出せるようになり、悠々自適な暮らしをしています。毎日、たくさんの優秀な経営者の人と話せるのがすごく楽しいです。

もしあのまま新卒の会社に居たら、こんなに優雅で刺激的な生活は送れていないと思います。

 

ダンス事業は前の記事にも書いた通り、うまくいかないことも多いですが、大好きなダンサーさん達とお仕事ができるのは楽しいです。

これまでどんな時でも踊るのを辞めた日はなかったですし、ダンスの時間は自分が何者であることかを忘れさせてくれるので本当に至福の時であったこと、また、一人でお金を持っても幸せじゃなかったので、今後もまたタイミングを見てダンス事業のためにお金が使えたらなと思っています。

 

今後のこと

 

本当にラッキーだけでここまできた無能なので、不安はありますが、

基本的にやりたいときにやりたいことをやるタイプなので、あまり考えても仕方がないし、プライドもないので仕事に困ったらフリーターにでもなれば良いかなと思っています。

 

会社員になれない上に、女性が一番輝くであろう23−25歳に泥にまみれてしまった挙句、事業に失敗し、仕事の得意分野もなく、自分には何もないんだなと思いますし、成功した同世代の華々しい生活を羨ましく思う時もありますが、無能なりに良い暮らしをしていると思いますし、毎日楽しいので良いのかなと思っています。

 

やっぱりゆるい内容になってしまいましたが、こんな生き方でも楽しく暮らしてる人も居ますという話でした。

 

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